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 原爆記念日 

今日は広島原爆記念日でした。
昨夜NHKで被爆者からの体験談を特集した番組がありました。
深夜にそんな番組があるとも知らず、
全く見るつもりも無かったのに、11時就寝する予定が、
方々から電話があったりで、入浴が11時半。
お風呂から上がってTVを点けた途端にその番組が始まりました。

実は7月から親戚、家族に病魔が迫り、一人は危篤状態。
父は宣告待ちという状態で、毎晩11時にはベッドに入り、
瞑想というより、あの世に行こうとしている血縁者達を繋ぎ止めています。
しかし、昨夜は本当に計画的に次々と電話がかかり、
病の相談を受け、きっかり被爆者達の声を聞くことになってしまったのです。

私は被爆地に被爆者の子供として生まれ、
子守唄のように被爆体験を聞いて育ってきました。
原爆は知らない町のことではなく、今まさに自分が立っている場所や、
遊んでいる場所、学んでいる場所で起こったことです。
「前の家の塀のところで黒焦げになっていた・・・」
「この校庭の真ん中に大きな穴を掘り埋めた・・・」
「水が飲みたくて、そこの川にたくさんの人が飛び込んでいた・・・」
自分の生活している場所で起こった事です。
こんなに生々しい話はありません。
しかもイメージ力の強い子供でしたから、
その場で、そのときの臭いや空気さえ感じてしまうのです。
これは戦後20年代、30年代に広島で育った子供達の逃れられない宿命でしょう。

熊本に来てその感覚から逃れられたと思ってましたが、
それはおろかな錯覚でした。
昨夜の番組を見ていると、その頃感じていた空気がまた自分の周りを
流れ始めました。
私たち被爆者2世は、実際の被爆こそしていないけれど、
両親や祖父母の体験を聞くことで、
瞬く間にそのときの恐怖や悲しみを疑似体験するのです。

その被爆体験を語ってくれた祖母も、伯母も、伯父も、
今はもうこの世にはいません。
みんな天に召され、被爆者であった唯一の証は
被爆者死没者名簿に名前が残り
平和記念碑の中に収められているだけです。
そして、いよいよ父にも病魔が忍び寄り、
近い将来、私に直接被爆体験を語る人はいなくなるのだと思うと
今まで逃れられない事実から逃げていた自分が情けなくなります。
「ピカが落ちても死なんかったじゃけえ、父さんは死なんよ。」
電話の向こうで明るく笑う父の声。
病に苦しみながらも、娘に心配掛けまいとする優しさが伝わってきます。

そんな悲しみの中での昨夜の番組。
被爆者の多くの人は、悲しい過去を忘れようと広島から逃れたり、
被爆者であることを隠したりしてきました。
しかし、祖母も父も戦後の広島から逃げることなく、
一所懸命に生きてきたのです。
造園業を営んでいたこともあり、復興を願い広島に多くの木を植えながら。
原爆で死んでいった先代である祖父もきっと誇りに思っているでしょう。

原爆投下から63年。
やはり、私の中の『広島』は深く悲しく息づいている。

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