2008年08月の記事一覧 

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 お墓参り 


実家広島でお墓参りです~。
浄土真宗派『安芸門徒』というと熱心な信者有名です。
お墓の前に立てられた5色の灯篭。
お墓参りに行くときは灯篭に自分の名前を記して持って行き、
墓前に立てます。誰が来たのかすぐわかります。
広島ならではの風景。
綺麗ですが昔から火事の元とされ、立てる人も随分少なくなりました。

墓地からは広島市宇品沖が見渡せ、絶好のロケーションです。
夜景も綺麗ですよ~ん。

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 てつのくじら 

鉄の鯨2
【てつのくじら=潜水艦】

こちらは海上自衛隊呉史料館「てつのくじら」です。
「大和ミュージアム」の前にあり、実物の潜水艦と掃海を展示する史料館です。
『海上自衛隊の有する資料の展示・保存等を通じて、海上自衛隊員の教育及び、広く国民一般等への広報活動により海上自衛隊に対する理解の促進並びに地域との共生に貢献することを目的としています。』

父は20代をここ、呉市と舞鶴市の海上自衛隊で過ごしました。
退官してから40年ぶりに見る潜水艦に興奮するかと思いきや、
淡々としてました。
まあ、海の中ではないのでね・・・。

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【潜水艦の中】

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 平和教育 

大和ミュージアム

息子も小学生になったので、そろそろ平和学習を始めたいな・・と思い、

・平和記念公園&資料館に連れて行くか?
・ヤマトミュージアムに連れて行くか?

と、両親に相談したところ、
平和記念公園&資料館はまだ刺激が強すぎるだろう・・ということで
まずは男の子が大好きな「船」なら導入しやすいのでは?と、
じいじ、ばあばも伴い、まずは「大和ミュージアム」に連れてゆくことになりました。


戦艦ヤマト2

戦艦ヤマト(ヤマトミュージアム)
「大和ミュージアム」は広島県呉市にあり、10分の1スケールの
「戦艦大和」の模型が展示してあります。
展示してある大和は小さいながら、本物を髣髴させる本当に美しい船。
当時の最先端技術の集大成だったそうです。
しかし、皆さんご存知の通り、実際の大和には悲しい最期が待っており、
今も南海の底で静かに眠っています。

戦艦「大和」は、昭和16(1941)年12月、呉海軍工廠(海軍直轄の工場)で、
極秘裏に建造された世界最大の戦艦でした。
昭和20(1945)年4月7日、沖縄特攻作戦に向かう途上、
米艦載機グラマンの攻撃を受け沈没、乗員3,332名のうち3,056名が
大和と運命を共にしました。
「沖縄特攻作戦」とは名目上の命令で、実は敗戦を迎えようとする日本が
「大和」を敵軍に没収されることを恐れて、死に場所を得るための進水式だったというのは
有名な話です。
燃料も片道分しか積載していなかったと言われています。
しかし物資部の燃料係の方が「どうか無事に帰ってきて欲しい」と願い、
軍には秘密でありったけの燃料を入れたと、生存者の証言があります。
最初から生きて戻ってくる予定の無い船だったのです。
もちろん乗組員も皆そのことを承知しており、そのことを最期の帰宅時に
家族にそっと告げるものもいれば、さよならも言わずに旅立った方もおられたようです。
その心中を思うと、国家機密だから・・というよりは、愛する家族に心配を掛けたくないという
最期の思いやりからだったのではないでしょうか。
この素晴らしい「大和」に乗れるというのは当時はかなり名誉なことだったようですが、
最初で最期の航海と知りながら、なぜ3332人もの乗組員を乗せたのでしょうか。
出航の日、皆、呉の港を眺めながら抱き合って泣いていたそうです。

戦闘機(ヤマトミュージアム)

実は私が今回初めて知った悲しい事実。
私の伯父(実父の姉の夫)が、米艦載機グラマンに載って「戦艦大和」を襲撃したということ。
伯父はハーバード大学出身で船のレーダーを製造する会社を経営し、
私にとっては自慢の素敵な伯父でした。
アメリカ人である伯父は学生時代兵役に招集され、米艦載機グラマンに乗り日本と戦ったのです。
今思えば、伯父は「戦艦大和」を弔うために戦後の日本に訪れ、
船のレーダーを開発し、日本の航路の安全を見守っていたのではないでしょうか。

父はまだまだ私に話していない「戦後」がいっぱいあると言いました。
きっと話したくない。忘れてしまいたい事なのでしょう。
「聞きたい」という娘にどれだけ語ってくれるのか。

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今回は「戦争」という過去の事を学ぶために来館したのですが、
「戦争」過去のことではなく、その延長線上に私たちの現代が築かれているということ。
戦艦「大和」建造の技術は今も生き続け、世界一の大型タンカー建造だけにとどまらず、
自動車や家電品の生産など幅広い分野で応用され、戦後の日本の復興を支えてきたということ。
そしてこれからの未来を生きる子供たちに希望と勇気を持って生きて欲しいという
「松本零士さん」のメッセージを読み、過去の事実を知ることが素晴らしい未来に繋がるということを
改めて気付かされました。

戦艦「大和」は、ただ沈んでいるだけではなく、今も海底から平和の大切さと科学技術の素晴らしさを訴えているように思います。


併設展では【第10回企画展「呉へ!戦時下の少年少女たち―動員学徒と女子挺身隊の日常―」】が
開催されていて、彼らが綴った日記や日報、貴重な写真に当時の辛く悲しい日常が伺えました。
そんな中でも、音楽会やスポーツ会を企画して明るく希望を失わずに懸命に生きている姿に勇気を貰いました。

子供のための平和学習でしたが、思いっきり親のほうが学ばせていただきました。





 原爆記念日 

今日は広島原爆記念日でした。
昨夜NHKで被爆者からの体験談を特集した番組がありました。
深夜にそんな番組があるとも知らず、
全く見るつもりも無かったのに、11時就寝する予定が、
方々から電話があったりで、入浴が11時半。
お風呂から上がってTVを点けた途端にその番組が始まりました。

実は7月から親戚、家族に病魔が迫り、一人は危篤状態。
父は宣告待ちという状態で、毎晩11時にはベッドに入り、
瞑想というより、あの世に行こうとしている血縁者達を繋ぎ止めています。
しかし、昨夜は本当に計画的に次々と電話がかかり、
病の相談を受け、きっかり被爆者達の声を聞くことになってしまったのです。

私は被爆地に被爆者の子供として生まれ、
子守唄のように被爆体験を聞いて育ってきました。
原爆は知らない町のことではなく、今まさに自分が立っている場所や、
遊んでいる場所、学んでいる場所で起こったことです。
「前の家の塀のところで黒焦げになっていた・・・」
「この校庭の真ん中に大きな穴を掘り埋めた・・・」
「水が飲みたくて、そこの川にたくさんの人が飛び込んでいた・・・」
自分の生活している場所で起こった事です。
こんなに生々しい話はありません。
しかもイメージ力の強い子供でしたから、
その場で、そのときの臭いや空気さえ感じてしまうのです。
これは戦後20年代、30年代に広島で育った子供達の逃れられない宿命でしょう。

熊本に来てその感覚から逃れられたと思ってましたが、
それはおろかな錯覚でした。
昨夜の番組を見ていると、その頃感じていた空気がまた自分の周りを
流れ始めました。
私たち被爆者2世は、実際の被爆こそしていないけれど、
両親や祖父母の体験を聞くことで、
瞬く間にそのときの恐怖や悲しみを疑似体験するのです。

その被爆体験を語ってくれた祖母も、伯母も、伯父も、
今はもうこの世にはいません。
みんな天に召され、被爆者であった唯一の証は
被爆者死没者名簿に名前が残り
平和記念碑の中に収められているだけです。
そして、いよいよ父にも病魔が忍び寄り、
近い将来、私に直接被爆体験を語る人はいなくなるのだと思うと
今まで逃れられない事実から逃げていた自分が情けなくなります。
「ピカが落ちても死なんかったじゃけえ、父さんは死なんよ。」
電話の向こうで明るく笑う父の声。
病に苦しみながらも、娘に心配掛けまいとする優しさが伝わってきます。

そんな悲しみの中での昨夜の番組。
被爆者の多くの人は、悲しい過去を忘れようと広島から逃れたり、
被爆者であることを隠したりしてきました。
しかし、祖母も父も戦後の広島から逃げることなく、
一所懸命に生きてきたのです。
造園業を営んでいたこともあり、復興を願い広島に多くの木を植えながら。
原爆で死んでいった先代である祖父もきっと誇りに思っているでしょう。

原爆投下から63年。
やはり、私の中の『広島』は深く悲しく息づいている。



 難病って何? 

数日前、友人から「難病と診断されたので公費申請に出かける」
とメールを貰い、心配になって電話を入れても繋がらない。
昨晩やっとその友人に連絡がつき病名を聞いた。
聞き覚えのある病気だった。
縛られた生活になることを知っているだけに
若いのになぜそんな病にかかってしまったのかと訊ねると
20代、30代で多く発症する病とか。
過度のストレスから来るものらしい。
色んな難病があるものだと思いながら、
ネットで検索してみると「難病情報センター」という研究機関に行き着いた。
現時点で難病と指定されているものは123疾患。
知っている病気が幾つあるだろうと”ア行”から閲覧してみた。
そして驚いたのは、自分の持病メヌエール病が難病指定とされていたことだ。
メヌエール病を発症して13年。
いままでこの病気で3件の病院で受診したが、
いままで難病だなんて一度も言われたことも無く、
まさか???っと驚いている。

しかし、知らなくて良かったのかも。
13年前、難病だなんて言われていたら
もっと悪化していたかもしれない。
お陰でここ1年、メヌエールの発作も無いし、
なんとなく起こりそうなときには早めの対策で大事にはならない。
一度発症したお陰で無理もしなくなった。
病気になってからでは遅いが、そこから学び得るものは多い。

女性にとっての30代は、出産や子育てなど
かなりホルモンバランスのとりにくい、ストレスを受けやすい時期なのかも。
ついつい20代と同じように考えて無理をしてしまう。
現在30代のママたちには、訳のわからない難病になる前に
しっかり休養をとり、ストレスを貯めないよう、
利巧に生活する知恵を持って欲しいと思う。


 川遊び・改め・プール遊び探訪 

080803-141735(プール)
【石がゴロゴロ。お世辞にも美しいとは言えない川になってしまいました。
左は重機の通り道の名残です。】

やっと実家前の河川護岸工事が部分的に終わり、
川に入れるようになりました。
しかし、工事直後とあってまだ足に馴染まない石がゴロゴロ。
あまりの歩きにくさ・・・いえ、痛さに、早々と川から上がり、
近くの研修センターのプールへ行きました。
こちらのプール使用料、町民は無料。
町民以外は200円です。
日曜の午後だと言うのに、他にお客は無く貸し切り状態でした。
私もプールサイドでのんびりコメントが書けてラッキーです。

しかし、空、雲、山、水、のコントラストが綺麗でした。
コメントもそこそこにボ~~ッと空を眺めて癒されてます。

080803-152017(プール1)
【夏の午後2時。青い空と白い雲が綺麗です。】

080803-145254(かじかプール3)
【貸切状態のプールで泳ぐ息子と、臨時監視員?のじいじ】


 牛の護さん 

今週もほとんどを実家で過ごしました。
毎日のように川で遊び、昼寝をして過ごしております。
今日は子供が石段に登りたいと言うので、一緒に登ってみましたが
思った以上に息が上がり、1000段も昇ることが出来ませんでした。
途中で牛の護さんにご挨拶。
気のせいか今日は機嫌が悪いように見えました。
私が遊びほうけているので叱っておられるのでしょうか??

実は今朝、「息子ももう小学生だから一人で川にも行けるはず。」
という話を母にしたら、
「子供のことに時間を惜しむな!!」と叱られてしまいました。
牛の護さんも、同意見なのでしょうか??


牛の護さん
【これは200段のところにあります。
よく見えませんが、牛に徳明王さんが跨っておられます。】

牛の護さん由来
【牛の護さんの由来】
1200年の歴史があるようです。
ご利益もほぼオールマイティ!!
みんな来てね~!!

石段灯篭2
【201段からの登り口にある灯篭・左】
この灯篭、凄いパワーを感じます。龍の勢いが違います。
石段灯篭1
【201段からの登り口にある灯篭・右】
龍の勢いは右より左のほうが強く感じるのは
偶然でしょうか。
ここの石段は白龍の昇る様にたとえられるので
龍の彫刻物が多いようです。


(△お好みの文字サイズになるまでクリックしてください)











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